手づかみ食べ 7ヶ月のちらかし具合
手づかみ食べを実践するには
かなりの覚悟がいります。
7ヶ月
、
離乳食 手づかみ食べ 7ヶ月の様子
娘7ヶ月で離乳食2回食をはじめました。
清水先生の手づかみ食べにしたがって
野菜スティックで遊ばせつつ、
野菜出汁と野菜ペーストのみで1ヶ月。
最初は味見程度でしたが、2週間ほどして
小さじ1-2杯の野菜ペーストを2種類間食するようになりました。
しかし便秘気味もあり、7ヶ月検診では、やはりおかゆを与えてないことに怪訝な顔をされ。。
なんとなく圧に負けて、7ヶ月よりおかゆをはじめました。まぁ、食べる食べる。。。
野菜ペースト 2-3種
野菜スティック
野菜出汁
麦茶
豆腐
とこんな感じで用意し
7ヶ月と1週間を迎え
娘を早めに寝かせるために
改めて日常生活を見直し
お腹が空いているのならと思い
2回食に踏み切りました。
そして、少しずつ
塩分、小麦粉、牛乳、タンパク質も
取り入れていっています。
これは、親の料理を砕いて練って
おかゆだけ、冷凍ストック
後は、野菜の無水ゆでを離乳食用に
ホットクックで用意し、
大人用に後でアレンジ。
もしくは、大人用の途中、あるいは
一緒のものをくだいたものをあげはじめました。
まぁ、こちらも食いつきがよい。
雛鳥のような顔してくれくれ、とやっています。
そりゃ味付けあるものは美味しいわよね。
野菜スティックを楽しくもったり
たまに食べてペロペロ、カミカミしていますが、まだガツガツ自分から食べるという感じではないです。
しっかり腰が座ったら、もう少し自由が効くので食べるようになるのでは、という感じがします。赤ちゃん用の椅子に座れるようになるまでは、こんな感じが続くかなぁーと思っているところです。
哺乳瓶消毒 レンジ コスパ良く便利な西松屋SmartAngel 哺乳瓶レンジ消毒器
完母で育児中ですが、2カ月まで実践していたジーナ式では搾乳が推奨されており、夜の授乳は搾乳を夫にやってもらおうと妊娠中の考えがあり、哺乳瓶と哺乳瓶の洗浄について夫婦で考えた結果です。
哺乳瓶洗浄は、一般的に、
●ミルトンなどの消毒剤を用いる
●鍋で煮沸消毒
●電子レンジ煮沸
と思いますが、ミルトンなど洗わずそのままがなんとなく嫌で、鍋は面倒すぎということで、消去法で電子レンジ煮沸にしました。
余談ですが、医者の友人ら、消毒必要ない、と言ってました。。。
消毒器は悩んだ挙句、西松屋が一番コスパよく、形もシンプルで扱いやすかったです。
税込みで1008円(8%時代)
哺乳瓶は、病院でなれたピジョンの母乳実感にしました。
二つ並んで入ります。
いつもは、電動搾乳機speCtraの容器とともに活用していました。
本当は、フィリップスのものが良かったそうです。密閉力があり、保存しておいても安心。
これは、蓋がゆるゆるなので、電子レンジしたあと、そのままでよいのか?という疑問が払拭できずにいました。
うまれるまでは、
tomocomoの哺乳瓶を購入していましたが、なかなか上手く使えず、断念。
以下もう使わないので、欲しい方いらっしゃったら、コメントください。
メルカリに出品して、お知らせします😌
●レンジ用哺乳瓶洗浄機 3つ
●母乳実感哺乳瓶 2つ
乳首部分は捨てます
●tomocomo哺乳瓶 2つ
出産記録
娘もハーフバースデーを迎え、もうすぐ7ヶ月検診。改めて出産記録を。
前日
10:00 入院 NST開始
12:00 内診 子宮口が全く開いておらず、水風船入らず。針5mm入れる(最初3mmの予定が5mmに)
14:00 内診 子宮口1センチ、水風船入れる110ml
15:00 陣痛始まる これまでで一番強い収縮。助産師さんが来て「今の痛みがありましたか?」
次第に強くなるものの、間隔は10分程度でまだまだ。
自然に抜けるか、夕方かという話もあったが、全く抜けずそのまま。
21:00 内診 水風船抜く 子宮口2センチ まだまだのため翌日また水風船から開始という方針
22:00 夫帰宅
当日
3:00 微弱の陣痛が10分間隔で続いていたものの、落ち着いてきた
4:30 陣痛ほぼなくなり、収縮もほぼなくなる
6:00 あぐら開始
7:00 シャワー
8:00 朝ごはん 夫到着
9:00 内診 子宮口は1センチ 水風船110mlを入れるとすぐに陣痛開始(弱いが間隔は7分間隔)
10:15 促進剤 プロスタグランジン1錠目飲む 変わらず
11:15 促進剤 プロスタグランジン2錠目飲む
11:40 夫、昼に出る
12:00 昼ごはん ご飯1口、シャケ1口で陣痛が強くなり食べられなくなる(ひじき・プリンなど残す)
12:30 腰をさすってもらわないといられないような痛みへ
強い陣痛がきたタイミングで、Dr が陣痛室へ「今の2回くらいの痛みが続くといいですね」
12:45 促進剤 プロスタグランジン3錠目飲む
陣痛強まる 5分間隔で強+弱交互にくるようになる
13:40 促進剤 プロスタグランジン4錠目飲む
陣痛さらに強まる
15:00 5錠目前に内診 子宮口はまだ4-5センチ 水風船は取れず
ご飯を食べれていなかったため点滴開始指示
内診により陣痛が変化。点滴の際に助産師さんへ
「今までにない痛みに変化しました、促進剤は飲んだ方がいいのか?」
「内診で刺激したかもですね、そのまま陣痛つけていきましょう」
15:30 Drが入ってくる「5錠目やめましょう」
「痛みが変わってきました。赤ちゃんに押されるような感じが出てきました」
「水風船とれるね、開いてきたね、んーでも4-5センチかな」
16:00 赤ちゃんの心拍が弱っているため、帝王切開の可能性を示唆
16:04 夫、母に電話
16:30 両親自宅でる
導尿準備・毛剃り
Drから手術の話・血栓のリスク
輸血時の説明・同意
個室の部屋及び費用の同意 スケジュールの説明
麻酔医によるリスクの説明と同意
陣痛が進み内診「子宮口8センチ」
16:45 両親到着・Drから帝王切開の説明
「だいぶ進んでいて、手術室で分娩の可能性もあるが、手術室へ」
16:50 夫「どの程度で手術室へ?」「あと10-15分の予定」
17:15 手術室へ移動準備・移動 赤ちゃん心拍145
18:00 出産
今読み直してみても、胸にくる1日です。
ツレうつ反省記 更新中
夫は37歳のとき、3度目のうつ症状で長期休暇を取得することになった。それは、結婚して3ヶ月目。妊娠がわかって3ヶ月目。わたしは切迫流産で療養明けのことでした。
夫のうつは、20代、30代前半でもあったようですが、当時は服薬だけして、すぐに復帰したそう。今回も軽度ではあるが、医師のすすめもあり休暇を取ることにしたのでした。
発症当初は、1ヶ月ほどしんどそうでしたが、希死願望や震えといった重度なうつを想像する症状はなく、ある程度規則正しく過ごすこともできました。だからか、本当にうつだったのか?と認めたくない部分もあったのです。でも、1年経過しても、症状が現れる彼をみて、ようやく、これがうつなんだ、と本当に理解してきたように思います。
軽度のうつこそ、厄介で治りにくい、なんていう情報もあり、できるだけ対応を間違わないよう、ここに冷静に記したいと思います。夫の一人称で書いています。妻の行動や感情は、「妻は」で記述。同じく夫や家族がうつの方、共倒れしませんように。
最初の1ヶ月
12月
仕事の量が多過ぎて、順序が立てられない状況が続いていた。その上、妻が切迫流産。実家療養中。土日に一度3時間半の道のりで訪ねてきてくれた。年末年始も妻実家で過ごす。取得しようと思っていた育休について夫両親に反対され、気落ちする。
1/4 金
インフルエンザA発症・家庭内別居
(実家からの帰路 事故渋滞で倍時間がかかっての帰路で悪寒)
1/7 月 解熱
1/11 金 出勤
朝メールが80件ほどたまっていて、しんどさを感じていた。上司から無理な納期の計画を伝えられる。苦手な先輩から「これ君の仕事だよね」と言われ、新たな仕事を振られて2時間ロス。夕食中、複数の同僚に「二週間かかる仕事を2日でやれと言われ、俺がいなかったら絶対できないのにどうするつもりなんでしょうね」と愚痴る。21時過ぎ退社。
1/13 日
東京(車検→新宿) 寒い、頭が回らない感覚
1/15 火
疲れを感じ、残業ゼロ帰宅。資料を作成するよう指示される(なぜ自分がやらなくてはならないのかと思う。
1/16 水
仕事が終わらない感覚、しんどい(泣きそうになる)
上司と打ち合わせ「休日も出て挽回して」と言われ、気分が落ち込む。22時退社。この状況が3日続く。
1/19 土
趣味のボルダリングで力が入らない。新年会 22時帰宅後、即就寝で記憶がないほど爆睡する。
1/20 日
休日出社の予定。目覚め悪く、9時に出発予定が15時になってしまう。
手動操作資料作成に行き詰まる。
1/21 月
出社。夕方から寒気、仕事が進まずマウスを投げる、キーボードを叩いてしまう。
21時退社。帰宅後、妻に冗談で、だらしないねえな〜弱いな〜と言われ、着ていた服を投げ捨てる。38度の熱がでる。ロキソニン飲み就寝。
1/22 火
頭痛、頭が回らない、37度の微熱、脚の痺れ。この状況が2-3日続く。 車運転で外出後、激しい頭痛。
1/25 金
病院へいき、診療待ちで疲れ。診療後、上司に電話時、呂律が回らない。就寝前に薬。
1/26 土
7時起床ー36.7度 感覚が鈍い(肩こりや痺れを感じない)10時頃、妻に車を運転するなと強く言われ、気分が落ち込み、起き上がれない。妻が勝手に会う予定だった友人に連絡を入れてしまい、どうして良いかわからなくなる
夕方16時頃より元気になる。薬を飲まないことにした友人に一度行くと伝えたが行けなくなった事に落ち込む。
1/27 日
9時起床ー起きれず(早朝目覚めスマホでネットを見ていたため?)頭重い、肩こりあり
15時-17時 散歩・家の見学・カフェ・買い物。スーパーので頭が回らない、疲れを感じる、寒さを感じる。
17時 36.5度。休憩後、頭は少しスッキリする。
自分の好きな情報は入ってくるが、そうではないものは入りにくいし、混乱する。
このまとめをつけはじめた。スーパーでみりんを探す際、混乱。パッケージの棚の情報が多すぎて、頭がぼおっとしてしまう。
1/28 月
7時半起床、眠気あり、少し頭痛
上司から入電「自宅までくるので今後の話をしよう」
14時 上司がきて、30分仕事の引き継ぎ その後3時間爆睡。
妻の引っ越しのために、赤帽を検索して出てこず、頭痛。妻に「送料の虎」をすすめたが、妻が赤帽を諦めず、混乱して頭痛。
1/29 火
9時起床、寝起き悪い、首が痛い、頭痛、ぼっとする。子どもの名前を考えていて、楽しいのに、ちょっとすると疲れる、頭痛があり、行こうといっていたパン屋に行けず。昼ごはん食べずに 14時-18時まで爆睡。夕食後、少し復活。
上述のような状況が続く。妻は、潰れそうになりかけ、本を読んだり、知り合いに相談するようになる。何が起きても、愛情ある平常心で。子育ての練習だと思うことにした。
2ヶ月〜3ヶ月目
上記のような状況が1ヶ月ほど続き、少しずつ少しずつ良くなってきた。
良くなるとは、
・上記のような「混乱」「頭が真っ白になる、ぼおっとする」「死んだように爆睡」といったような状況になる頻度が減った。週に2-3度程度。ほんのちょっとでもストレスや疲労が溜まると出るのだろう。
・穏やかにすぎる感覚が増えた。
2月下旬
妻側の結婚パーティがあって上京し、その場はとても楽しかったが、次の日は一日中寝ているというような状況。ただ、夫婦で予想がつけられるようになり、疲れたことに驚いたり、落ち込まなくなったのが大きな変化。
4ヶ月〜8ヶ月目
妻里帰り出産のため、妻実家の離れに夫婦二人でお世話になる。出産が近づき、できる限り規則正しい生活を心がけ、運動や好きなことも取り入れ、こどもの準備などで、調べたり、長文を読むこともできる状態になってきた。
一方で、一日中寝込む日もある。復帰や、里帰り後の生活を準備するために、たまに運転して帰るが、3時間-4時間の運転で相当な疲れ。一日中寝たり、運転する前に寝られなくなったりなどがある。妻実家でも寝込む日あり。
復帰の話をしはじめ、このまま子が生まれると同時に復帰だと大変な負荷になるので、妻が里帰り中に復帰するという計画を立てる。
妻の出産後、責任感から行動力がアップし、うつの症状もなくなる。
が、一人暮らしの折は長時間寝てしまう、妻の実家で子と3人でいる時も、子の泣き声に反応しないくらい寝込んでしまう時はある。
一軒家の賃貸が見つかり、引っ越しを決める。妻がいない中で、やりきる。
9ヶ月〜12ヶ月目
妻と子との3人暮らしがはじまる。定時退社のため乗り切れている。
10月上旬
ひさびさに趣味の山にいくというが、妻は子育てでまだ不安定な日々。イライラしてしまって「期待値を下げればいいもん」と冗談まじりに言った言葉に頭が真っ白になり、山へ行けず。以前も断った友人のため、落ち込む。妻も落ちこむ。ちょっとイライラをぶつけただけで、ダメなんだと自己嫌悪に。しかし1日寝れば回復。
12月
頭が真っ白になることは何度か起きる。2-3時間寝れば少しスッキリするというようなことは度々起きる。仕事は順調、メンバーにも恵まれる。長時間の運転ではやはり疲れる。疲れやすい。冬季うつというのがあると知ってなるほどと思う。
うつの再発
12月下旬
年末年始休暇開始2日前、忙しくて帰宅後、結露でカビができており、発見後ダウン。一日中寝ていて復活。最終日は出社。
1/6
初出社日。初日から残業して帰宅後、好きなBSがうつってないことにショック、アンテナを直してる時に顔をうってしまい落ち込む。さらにカビを発見してダウン。寝込む。
翌日微熱で会社を休むと、インフルエンザの検査を指示される。
1/8
インフルエンザは陰性だったが、病院で疲れる。(妻反省。行かせなければよかった。)
1/10
また三連休になるため、さすがに出社しようと思うものの、表情がない。妻に行くのを手伝ってというが、妻はやめよう、あなたの笑顔みてない。去年と一緒だよ、といわれ、ダウン。(妻、軽くいったのだけど、悪化させてしまった。行かないのもストレスというのだから、行かせてあげるべきだった。)
圧倒的に魅力的なもの ねほりんぱほりん 羽生結弦
ポット夫妻が大好きなNHKEテレの番組「ねほりんぱほりん」で
「羽生結弦が好きすぎて人生が変わった人」の回をみて、チームビルディングにおける一つの回答を見た気がした。
出演者の3人ともが、ニコニコ(人形だけどw)していて、穏やかで、良いことをしている、幸せだと言い切っている姿が、ホントに印象的で。
ハマり具合は確かにすごくて、そこだけをみれば、嘲笑の対象にもなるかもしれない。しかし、彼女たちは、羽生選手の美しさにみあう言葉を探し勉強しては、ファンレターというよりも作品とまでしたため、素晴らしい生き方に追随しようと良い心がけを行う、そして幸せだといいきる。
番組を見始めていたときには、馬鹿にした気持ちがあったが、すっかりなくなり、なんと素晴らしいのだろうと、しばらくぼおっとしてしまったほどだ。
ここに、常に、個の輝きと集団の成功の両立をどう考えるか、いつも悩んでいるネタの一つの答えをみた気がした。圧倒的な個人の魅力の前では、幸せになれるのだと。
羽生選手のような才能は皆が持ち合わせるわけではないが、個人が魅力的であるということはやはり大切なことだと。震えがくるほど引き込まれる経験。こどもたちには、一度経験してもらいたいものだ。